雑記記事

台湾はなぜ「親日」?-台湾旅行記 Part.2-

僕のブログに来てくれてありがとうございます。

さて、今回はこの記事に引き続いて台湾旅行の話ですが、

今回は台湾での旅行記録だけでなく、

日本の「植民地統治」「戦後台湾の対日認識、という

少し重たい内容です。

今回の、テーマはこちら。

なぜ、台湾は「親日」か

多くの方は、台湾=「親日」というイメージを

お持ちではないでしょうか。

このテーマについて、台湾現地での体験や関連する論文・書籍を

利用して、説明していきます。

今回のポイントは次の通りです。

日本の「台湾統治」と中華民国による「台湾統治」が相対的に評価された結果、戦後台湾の対日認識は「親日」的になった

タイヤル族と「植民地統治」の遺産

タイヤル族の里へ

前回の「台湾旅行記 Part.1」で紹介した烏来(ウーライ)

行ったときの話です。

この烏来(ウーライ)には、先住民族である

タイヤル族の人々が住んでます。

この「タイヤル」という名前についてですが、

種族名に関しては、明治四五(一九一二)年総督府が査定し、タイヤル(Tayal)族、もしくは音声から「アタヤル」(Atayal)族と称されることとなつた。「タイヤル」とは「宇宙の頂点に立つ真の人」という意味の自称である。

引用元:菊池一隆『台湾北部タイヤル族から見た近現代史 日本植民地時代から国民党政権時代の「白色テロ」へ』集広舎、2017年、pp.23-25。

僕も、この本を読むまで「タイヤル」の意味は知らなかったのですが、

すごい意味を持ってますね。

そんなタイヤル族の方と直接お会いしたのは、

「酋長文化村」公式サイトはこちら)という

文化施設でした。

周辺には、「烏来瀑布」という大きな滝があって、景観のよいところです。

写真だと伝わりにくいですが、本当に大きな滝でした。

タイヤル族との交流

そして、実際にタイヤル族の方とお会いしたのですが、年配の

族長の娘さんが出迎えてくれました。

そして、色々お話をしたり、若者が織物をしているところを

見せてもらいました。

  • 若者は、普段は都市部に住んでいる。
  • 若者は週末に、この文化施設にきて伝統的織物の技術を練習して、継承している。
驚いたこと

族長の娘など、年配の方が普通に日本語を話していること

若い世代のタイヤル族の人は、日本語を話していなかったんですよね。

どうして、年配層は日本語を話せるの?

ここに、日本の「植民地統治」の遺産があるんです。

年配層の親世代は、日本の「植民地統治」を直接経験しており、その影響で日本語を話すことができる。

そして、その親から「植民地統治」時代の経験を聞いているはずなのに

非常に僕たち「日本人」を歓迎してくれました。

もちろん、僕たちは商売相手だから歓迎していた点はありますが、

あまり日本の「植民地統治」の歴史に対して嫌悪感を

抱いているようには感じませんでした。(本心はわかりませんが、、)

戦後台湾の対日認識の土台

現代台湾の対日認識

僕は2019年の夏に国際交流講義として、国立政治大学に行って

現地の大学院生とお話しました。

そこで驚いたのは、日本文化が好きな学生が多かったことです。

アニメだけでなく、乃木坂などのアイドルグループも知って

いたので驚きました。

「日本大衆文化は長期にわたって台湾で発展し、一定の人気を集めてきた。しかも、1990年代には「日本マニア」というブームを引き起こした。台湾はかつて自分達を植民地支配した日本の文化に対して抵抗意識が強くなく、むしろ好意すら抱いているようである。

引用元:李衣雲「実像と虚像の衝突―戦後台湾における日本イメージ再上昇の意味、1945-1949―」『東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究』No.69、2005年3月、p.137。(以下、同論文から引用する場合は、単に李衣雲(2005)と略記する。)

やや、論文が2005年と古いですが、実際に

台湾に行ったら、いろんな場所で「日本文化」的なものがあったので、

驚きました。

驚いたこと
  • 「吉野家」や「セブンイレブン」が普通にある
  • 「セブンイレブン」には、日本のお菓子を売っている専用コーナーがある。

かなり、台湾社会の中に日本文化が浸透していると感じました。

植民地時期、日本は警察システムや近代化建設によって、台湾で進歩、恐れ、威風、秩序のような日本イメージを作り上げると同時に、植民地支配者=優勢者の態勢で台湾人をいじめるという印象もできた。

引用元:李衣雲(2005)p.137。

このように、日本人は「支配者」としてのネガティブな側面

もあったはずなのに、現在では日本という存在自体「肯定的」に

とらえられているなと感じました。

ちなみに、この論文を書いている李衣雲先生の講義を、

台湾で受けましたが、李先生自身日本文化のファンでした(笑)

【疑問】

なぜ、戦後台湾の対日認識は「親日」的になったのか?

台湾の解放と「祖国イメージ」の変化

1945年に日本が敗北し、台湾は「植民地支配」から解放され、

台湾は中華民国に接収されて、「台湾省」となりました。

人々は当初「祖国」への復帰を喜び、国民党軍を歓迎した。しかし腐敗した国民党政府の統治下、かつて日本人が務めていた役職は、国民党とともに来台した、台湾省以外の出身者である「外省人」によって占められた。賄賂が横行し、猛烈なインフレで社会は混乱した。

引用元:大東和重『台湾の歴史と文化』中央公論新社(中公新書)、2581、2020年、pp.198-199。
  • 戦後当初、台湾の人々(本省人)は、「祖国」への復帰を喜んだが、その期待は裏切られることに。
  • 国民党政府(外省人)の統治によって、戦後の台湾社会は混乱していくことに。

このように、台湾は「祖国」に復帰したはずなのに、結局は

台湾省以外から来た「外省人」に統治されることに。

統治者が「日本人」から「外省人」に変化したでけで、「本省人」は依然として従属的立場に。

つまり、国民党政府が台湾を接収してから、台湾人の想像した立派な祖国が新植民支配者に変化してしまい、同一の民族という虚構性も、台湾人を排除した政策によって壊滅的な打撃を受けた。そして、元植民地支配者としての日本と、新植民地支配者としての中国が比較されるようになった。かつての日本植民地政府が台湾人に対して行った圧迫は、国民党政府の同民族の名義で行った搾取と比べて美化されるようになり、日本植民地時期の経験は、台湾人が漢民族の中で差異化をする基準になった。

引用元:李衣雲(2005)pp.148-149。
祖国イメージの変化

【解放直後】国民党政府(中華民国)=「立派な祖国」

【解放後】国民党政府(中華民国)=「新たな植民地支配者」

このように、台湾人の「祖国」としての中華民国イメージは変化。

日本=旧植民地支配者

中華民国=新植民地支配者

日本と中華民国は、新旧の植民地支配者として比較されることに

相対的に日本の統治の方がよかったと評価or(美化)

そして、「本省人」の「外省人」に対する不満

1947年2月28日の、「228事件」として噴出。

抗議活動が展開されましたが、武力鎮圧され

多くの方が犠牲となりました。

(この事件およびその後の展開については、本記事では書ききれないので、今回は簡単な説明にとどめておきます。)

今までの「敵-味方」という図式は逆転した。国民党政府が他者=敵になり、国民党政府の敵=日本が台湾人の元の敵から親近感を覚えられる味方になったのである。

引用元:李衣雲(2005)p.149。

この228事件を境目として、台湾人(内省人)の対日イメージが変化

  • 中華民国が台湾人(内省人)の「味方」から「敵」に
  • 日本が台湾人の「敵」から「味方」に

この段階で、戦後台湾の日本に対する「親日」的イメージの

土台が形成されることに。

実際に李先生が講義でも強調していたのですが、決して日本の統治がよかったというわけではありません

あくまで、相対的に日本の統治のほうが「ましだった」だけです。

おそらく、この書き方に反論(ないし反感)を抱くかたもいると思います。

おそらく、近代的な制度の整備や、ダム建設といったインフラ関連技術の

事例を持ち出して反論するでしょう。

しかし、それは問題の一面でしかないことを忘れないでください。

植民地統治中に行われた「民族同化」政策や

その他の問題(今回は書きませんが)を考えると、

単純に「日本の植民地統治」=「正しい・正義」と考えられない

と思います。

おわりに・読書案内

どう歴史を「語る」か

今回は、戦後台湾の対日認識が「親日」的になった過程を

簡単ですが書きました。

台湾の「親日」的姿勢の背景には、複雑な戦後台湾の

歩みがありました。

このような歴史をふまえると、台湾を「植民地統治」していた

日本で生まれ育った僕たちはどうすればよいのでしょうか。

もう、過去の出来事だから忘れてよいのでしょうか?

僕は、そうだとは思いません。

でも、どのようにこの問題を取り扱い、どう「語れ」ばいいか

わからないのも正直なところです

「植民地」を保有していた「日本帝国」の歴史を、どのように研究し、

後世に伝えていけばよいのか。

難しい問題ですが、研究をしていくなかで考えていきます。

余談ですが僕の専門は、「植民地」期の「朝鮮」

傀儡国家「満洲国」です。

2人の台湾人の言葉

「植民地統治」経験者の女性の言葉

僕は、台湾で講義を受けている時に、228事件で家族を失った

老婦人のお話を聞きました。

もちろん、統治経験世代なので、本当に上手な日本語でした。

まったく違和感のない日本語でした。

そして、その女性が最後に言われた言葉が、今でも頭を離れません。

私は、今でも日本のことを兄弟だと思っていますよ。

ある大学院生のことば

僕は、交流講義を通じて仲良くなった台湾人の学生に

少し、変な質問をしてしまいました。

Q.「僕たち日本人は、植民地統治の歴史をどう理解すればいいのか?」

それに対して、彼はこう答えてくれました。

(植民地統治の歴史を)忘れないで

僕は、今回この二人の言葉を伝えたくて、この記事を書きました。

この記事を読んでくれた人が、少しでも台湾のことを知って、

心のどこかで台湾のことを思ってくれると、うれしいです。

「忘れないで」の意味

余談ですが、彼の言った「忘れないで」の言葉の意味が分かるきがします。

僕は、広島県に被爆3世として生まれました。

被爆3世だから、直接原爆の被害にあったわけではありません。

でも、「あの日」の広島で何があったのかを、できる限り

色んな人に知ってほしい、忘れないでほしいと思っています。

読書案内

今回は、比較的読みやすい台湾の歴史に関する本を2冊紹介します。

・大東和重『台湾の歴史と文化』中央公論新社(中公新書)、2581、2020年。

・黄昭堂『台湾総督府』筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2019年。

今日も読んでくださり、ありがとうございました。

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